植芝盛平合気道の創始者植芝は合気道の創始者である。その強さは普通ではなかったらしい! 修行時代には、北海道の山奥で毎晩3~4頭の熊と寝起きし 59才の時には、全国武芸大会で190センチ以上の 大男を手まりのように放り投げたそうです。 弟子たちが夜中道場で熟睡中、暗闇の中、いきなりふすまが開いて、 植芝が走り出てきて道場の床の間にある神棚の前に来ると、 掛け声をかけて剣を振り下ろしたらしい。 弟子たちが何事かと目を開くと、 「供物をネズミがかじっているのに、きさまたち気がつかないのか」と、 一喝されたらしい。後でみたら、ネズミがたたき殺されていた。 他にも「私には銃弾はあたらない」と言い プライドを傷つけられた自衛隊員! 一斉に十発の銃弾が飛んできた時、植芝はダッシュし、 一瞬の内に自衛隊員の一人の後ろに周り、投げ飛ばした。 もちろん弾は当たらなかった。 訳が解らなかった弟子の塩田剛三は、 帰りにどういうことかと聞いてみたら、 「弾がスローモーションで飛んで来るので、一番遅い弾を見つけ、 その弾を撃った人に向かって走り、 投げ飛ばした」という答えだったそうです。 この話を聞きつけた熊撃ちの名人が挑戦しようと したそうですが植芝盛平は 「お前には殺意がない。それでは弾が当たってしまう」と 挑戦を断ったそうです。 他にも、プロボクサーのピストン堀口のパンチを 小指で引っ掛け投げ飛ばした事も有名な話です。 昭和44年86才で他界 亡くなる前、絶対安静で水しか飲んでない状態の時 突然「稽古をやろうと」と言い立ち上がろうとする植芝を 3人の弟子が押えようとしても、みんな投げ飛ばされたそうです。 これが植芝盛平が言う呼吸力です(^^ 歳をとったら筋力は衰える。すると、上げたり引っ張ったりというのは 出来なくなる。結局そういう生の力というのは、いくら作っても 限界がある。だから、永遠の力というのは、呼吸力!つまり、 自然の理にかなっているということ。向こうが強い力で来てもそれに 対応してフワッと自分の力にしてしまえば、ちっとも苦労はいらない。 |